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No.1 |
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孔子・・・ |
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○ 孔子は早くに父親を亡くして母子家庭で育ったため、青春時代は生活のためにあらゆる職業を
経験したそうです。
そのこともあってか、富貴を求める人の気持ちを否定はしなかったそうです。
・・・・・・足りないものがあれば、それを手に入れたくなるのが人情です。
金に困らなくなるために財産が欲しい、そのためにはサラリーマンなら出世するのが一番と考えても
不思議ではありません。
そして大多数のサラリーマンは、実際は富貴には至らぬまま一生を終わるわけですが、それでも老境に
入って振り返るとき私のような平凡な者でも、"自分の人生もまんざらでは無かった"と思うようです。
だから、人は富貴にならなくても十分に幸せを得られるのですね。
○ 戦乱が続いて豊かとは言えなかった春秋戦国時代の古代中国で、孔子は富貴を目指すのもよいが、
その過程が大事だと説いたようです。不心得者が出世して財産を得ても、恥をかくばかりで面白くもない
だろうから、とも考えたと云われています。
・・・・・・部屋の広さが何十畳も何百畳もある家に住んでいても、自分が寝るときには一畳もあれば
事足りるわけです。
それならば、なぜ人はそんなに広い部屋を欲しがるのだろう、と疑問に思うことがあります。
それは突き詰めれば、他人との比較優位を示すため、つまり周囲に自慢するため、ではないでしょうか?
これも周囲にまだ自慢する相手がいるうちはよいのですが、飲み相手がいなくなったとき、また、夜1人に
なったとき、つまり自慢する相手がいなくなったときには、広い家に住んでいても空しさを感じるのでは
ないでしょうか。
だから、富貴になるという結果によって得られる快感は、結局は"そう長く続くものではない"、とも云えそう
です。 だとすると、"自分自身が前に進んでいることを感じる"ことによって得られる幸福感、つまり、"前日
の自分と比べ今日の自分の比較優位を感じる"ことによる幸せ感、これが一番確実で手頃なのではない
でしょうか。
私の場合は、幸か不幸か、(今まで余りにも前進していなかったため)進むべき"前"はいくらでもあります
。
まだまだ至らない点が盛りだくさんで、"今日は、昨日より少しでも良くなりたい"と本心から願っているか
らです。
とはいうものの、実際に、振り返って自分の日常を眺めたとき、毎日毎日アクセクしながらも結局のところ、
"昨日に比べ何の進歩もなかったな"とがっかりする日が殆どです。比較優位ならぬ比較劣位を思い知ら
される瞬間です。
これが、私の現実です。
○ 孔子は富貴を求めるあまり、仁を失ってはならない、と説きましたが、
これを今風に言うと、金が欲しい
のは分かるが、そのために法律すれすれの行為をやってまで金儲けをしてはならない、と言っているの
でしょう。
・・・・・・"富貴になる"という結果を急ぐ人の心の奥には何が隠れているのでしょうか?
富貴になって、周りから尊敬されたいという名誉欲がそうさせているのかもしれません。然し、いくら世間
の人が羨むような"富貴"になっても、何れは段々と年をとって行き、最後は老いて亡くなってしまうわけ
です。
また、その時は人から尊敬されても時代の変遷とともに価値観も変わります。後になって、「前の時代で
の名誉が不名誉となってしまう」かも知れないのです。 そう考えると結局は、"人の幸不幸は、今このとき
を如何に充実させ、自分自身を満足させられるか"、そして"最後のときに、自分の人生は幸せだった"と
自分を満足させられるかということのようにも思えるのです。
つまり、"良い結果だけを求めるのではなく、それに至る過程も大切にしていける"人ほど幸せな人生を送
れるとも考えられるわけです。
だから、幸せな人生は"何も大金持ちだけのものではなく、それほどお金に縁が無くても、自分なりに精一
杯頑張っていると自分で勝手に思っている"私のような平凡な者にも平等にあると「M&Aで活躍している
六本木ヒルズ族」のニュースを見ながら思う今日この頃です。
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